2008年04月10日
ノルマンディー上陸作戦の概要
ノルマンディー上陸作戦にこんなに深い意味があったとは知りませんでした。
1943年11月、ヒトラーがフランス侵攻の兆しをもはや無視することはできないとして、エルヴィン・ロンメル陸軍元帥をフランス北部防御の任務を負ったB軍集団の司令官に任命した。ロンメルは北アフリカでの経験から侵攻を防ぐただ一つの方法は海岸で出来るだけ早く反撃することであると堅く確信しており、装甲部隊の海岸近辺への配置を望んでいた。しかし彼の権限は制限されていた。全権を持つ西部方面軍総司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット陸軍元帥は内陸部に連合軍を引き込む作戦を支持し、結局、装甲部隊の内陸部への配置と前線防衛ラインが決定され反撃の準備が整った。
作戦運用上の討論は二人の重要な指揮官の戦闘経験を反映した。ルントシュテットとハインツ・グデーリアンはドイツ空軍の制空権保持下および東部戦線での戦線拡張下での作戦行動指揮経験はあったが、空軍の支援なしでの戦闘指揮経験はなかった。
一方ロンメルの経験は大きく異なっていた。彼は前線へ空軍力を投入する連合軍の傾向を経験していた。1939年から1941年までのドイツ空軍の絶頂時を経験したルントシュテットとグデーリアンが英米軍の空軍力に関して考慮しなかったことは注目すべき点である。当時のドイツ空軍の能力を考慮すれば、英米空軍の増強は推測できた。ロンメルは北アフリカで制空権を奪われた戦いを経験しておりこの点を理解していたが、他の上級指揮官は理解しないか過小評価していた。
論争の解決にヒトラーはフランス北部で運用可能な6個装甲師団の内3個師団をロンメルに与えた。残りの3つは海岸から離れた位置に配備されヒトラー直接の承認なしでは運用することが出来なかった。フランス北部の飛行場は英米空軍の頻繁な空襲により大きく破壊され、ドイツ空軍のフランス沿岸北部の防空戦力は169機の戦闘機しか稼働できなかった。6月6日当日ドイツ空軍はJG26(第26戦闘航空団)から司令官ヨーゼフ・プリラー中佐率いる2機のFw 190戦闘機が出撃したのみだった。
しかも不運なことにロンメル元帥は、妻の誕生日が近かったことと、機甲部隊への指揮権を委譲するようにヒトラーに直談判しようと副官を連れて上陸直前にフランスを出ていて、上陸が始まったころにはまだドイツにいた。ドイツ側の観測によれば6月中、すくなくとも6月中旬の間は大規模な侵攻作戦に適した天候になることはまずないと予想されたからであった。
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